東日本大震災から2年

「気仙沼の現実に今、何を援助すれば」

 

気仙沼の同業者との面談


 四月六~七日、あいにくの大嵐(爆弾低気圧)の中バスにて東京鉄構三団体で、桜前線を北上し宮城県の仲間の所へ向かった。
 被災を受け丸2年経過した現況と地域に対して、どの様な援助を行なったらよいかを確認する為です。
車中でドライバーさんが幾回現場に行ったか覚えてない程ですが、最初の頃は魚の腐敗した異臭がひどくて、とても辛かった、また、道路は瓦礫が多くて走れなかったそうです。
午後に気仙沼大島フェリー乗場にて宮城県の仲問と合流し、船中での話 地盤沈下が七十センチで漁船を接岸する為急ピッチで岸壁・嵩上工事をしているとの事。
大島着後公民館にて、3・11当日の話を聞いた。その後懇親会に移り、理事長同士の話しの中で消防団の話しになり、どの様な事が起こり、どの様な対処をしたら良いかを教訓として、伺う事が出来た。
① 地震では建物はあまりダメージを受けない。
通信網が全て不通になり安否確認が数日取れない。
② 津波の第一波より第二、第三波が2倍3倍になる。
引波の早さは想像以上だ。
海上でも流出油で火災が発生する。
河川は逆流し第二、第三波で水嵩が上がり氾濫する。
障害物の無い道路は河川に変貌する。

教訓として、

*三日間は自助で生き残るシュミレーションを複数持つ、体に傷を作るな、
*体温保持に心掛ける。
*避難したら元に戻るな。
*生死は運で決まる。


なるほどだなと実感しました。又消防団員として、この教訓をどの様に実践に生かせるかが今後の課題だと思いました。
 減災に心掛け、一人でも多くの尊い命と財産を守りましょう。
        団本部分団長 飯田歳樹